豊栄荘の離れ「雉子亭」


 飛騨から移築して45年が経ちました。

 移築してからのエピソードは数知れません。移築当初はキジをお召し上がりいただくための料亭だったこと。昔の大名が味わったであろう雰囲気を再現しよ

 うとしたこと。雉子亭は武者小路実篤の命名であったこと。皇室や芸能人の方がしばしばお忍びでいらしたこと。40年前、火事のために茅葺屋根および2

 階部分が消失したこと。奇跡的に2階部分がそのままのかたちで残り、その後に現在の瓦屋根になったこと。最近になってからも、当時を知る先輩方から様

 々なエピソードを聞きます。しかし、雉子亭には、移築する前に300年の歴史があるのです。


 そう、雉子亭のルーツ。


 未来の雉子亭を考える上で、過去、そしてそのまた過去、ルーツを知っておきたい。そして、それを知る手がかりは年々消えてゆく。そういう思いがありま

 した。この6月まで私は、雉子亭は世界遺産として有名な白川郷から移築したものと思っていました。そして7月に入り、古い資料をよく読みなおしていた

 ところ、雉子亭は、岐阜県吉郡坂上村(現在の飛騨市宮川村)の洞(ほら)という集落より移築してきたことが分かり、さらにそこに住まわれていた方の名

 前も明らかになりました。さっそくその飛騨の友人に連絡を取り、現地の情報を教えてもらい、先週、「雉子亭」のルーツを探すべく、飛騨に行ってまいり

 ました。


    


 高山で一日過ごした後、飛騨市へ。そこで、友人と、宮川村のGさんとNさんに合流しました。雉子亭(旧宮内家)は、落武者の集落だった洞(ほら)にあり

 ました。JR高山線打保(うつぼ)駅を過ぎ、文献にあるとおり山にずっと入ってゆく。かつて雉子亭の柱や梁を載せたトラックが通ったであろう山道をゆ

 く。雉子亭のあった場所が近づいてくる。胸が高鳴る。そして、両側を杉林に囲まれたところで車が停まる。「ここだよ」45年の時を経て、移築後の土地

 に植えられた杉も大きくなっている。それでも、雉子亭がどのように建っていたのか、鮮やかなイメージが心の中に広がりました。今は3戸しかない集落も

 昭和38年当時は22戸あったそうです。現在は杉林ですが当時は水田が広がり、子供たちが走り回る風景が広がっていたようです。自給自足の生活が、古く

 から営まれてきましたが、戦後の高度成長により、その姿も消えてゆきました。日本の原風景が、消えてゆくというのは悲しいことです。途中立ち寄った

 民俗資料館の別館は、移築されたそのままの合掌造りとなっており、案内をしてくださったNさんが昔住んでいた家でもあります。間取りや大きさなどは雉

 子亭とほぼ同じで、移築前の雉子亭を想像する上で、たいへん貴重な資料でした。そんななか、昔この地で雉子亭に住んでいた方が近くにいらっしゃると

 聞き、急遽その方に会いにゆくことになりました。村の案内役の方が予定を変更してずっと同行していただきました。雉子亭の建物で生まれ育ち、その後

 お嫁に出た方のお宅にうかがいました。残念ながらその方は昨年79歳で亡くなったのですが、だんな様の貴重な思い出話をうかがうことができました。だ

 んな様は急な訪問にもかかわらず、親切にお話をお聞かせいただき感謝しております。遺影を見ると、素敵な笑顔でVサインをなさっていました。線香を

 あげてご挨拶をすると、なんとも懐かしいような気持ちになりました。雉子亭のルーツを知ることは、今後の雉子亭のあり方を考える上でたいへん貴重な

 体験となりました。建物はただ古くなるものではなく、そこに刻まれた歴史がお金では買えない貴重なものなのだと、あらためて感じることができました。




雉子亭 豊栄荘 主人 原 健一郎

2008年7月記










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